2016年7月17日日曜日

祖父母の思い出

 私が育ったのは千葉県の北東部にある旭市という町です。JRの総武本線特急に乗って東京駅から1時間半。九十九里にも面する自然豊かでのんびりとしたところです。

 そんな我がホームタウンも、今では国道沿いには飲食店が軒を連ね、大きな図書館があり、中心部にある公園では、おしゃれなフードイベントなど催され、なかなかの賑わいです。でも、私が小さかった頃は、本当にのどかで、住民はほとんど知り合いという風でした。

 そんな中、我が祖父母は変わっていました。

   祖父は自宅を自ら設計し、九十九里浜に漂着した縄文杉を掘り起こして製材したものを使って建てたり、当時秘境とされていた中国雲南省にしばしば赴き、貿易業を始めたり。

 趣味の骨董集めは、趣味の域を超え、家の中は骨董品(ガラクタ含む)だらけ。私が寝ていたベッドもいつの時代のものかわからないような木製のものでした。晩年はその自宅を資料館として開放していました。
 
 健啖家の祖父は、なんでも食べました。自宅のベランダで栽培した変な植物、雲南省から持ってきた古代米、松茸、白魚、などなど。それらをなんとも上手に調理して私たちにも食べさせてくれました。祖父は食べ物を勧めるのがとてもうまく、「のりちゃん、一口だけでも食べてごらん。ほっぺが落ちるほど美味しいのだから」と言って、初見の食べ物に躊躇う私を、食べてみるかという気持ちにさせるのでした。
 
 自宅には、時々中国の外交筋の方たちが祖父に会いに訪れ、、なぜ、一介の田舎のおじいちゃんの元にこのような方たちがいらっしゃるのか、子供の私にはわかりませんでした。(今もよく分かっていません(笑))

 他方、祖母はとてもおしゃれな人で、毎朝のフルメイクは欠かさず、爪はきれいにマニキュアを塗り、全身隙のない服装をしていました。家業を継いだ父を手伝う母の代わりに私の世話をしていた祖母は、よく私の母親だと勘違いされ、それを得意にしていました。

 祖父の作るゲテモノ料理には決して手を出さず、好き嫌いの多い人で、お菓子やチーズばかり食べていました。髪をたてロールに巻き、フルメイクでわがままな祖母を、私は陰で妹たちと「マリー・アントワネット」と呼んでいました。

     幼少期を両親よりも長く過ごし、可愛いがってくれた祖父母のことが大好きでした。

 そんな2人も鬼籍の人となってしまいました。

 最後の濃密な思い出は、大学時代に、祖父母と私、妹、従弟の5人で2週間中国雲南省と北京を旅行したことです。珍道中でしたがすごく面白い旅行でした!
 
 私が英語が好きになるようにと、教材をそろえてくれたり、私が生まれる前に行ったヨーロッパ旅行の話を聞かせてくれたり、今考えてみれば、祖父母の影響をもろに受けて、私は外国への憧れを膨らませていたのだと思います。

 特に何でも食べる食いしん坊なところは、祖父から受け継いでいると思います。

 この夏は帰省し、お線香をあげたいと思います。


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