2016年7月3日日曜日

どうしてフランスだったのか?

 人にはそれぞれ、理由はないけれどとにかく『これが好き』『やめられない』『なぜか気になる』といったジャンルがあると思うのです。それがフランスだった人、新行内です。 

 「フランス語の翻訳をしている」とか「高校生の頃の理想の男性はジャン・ピエール・レオーだった」などと話すことがあると、みんな「えっ?似合わないね」というような表情を浮かべます。正確に言うとそういった表情を出さないように努力している表情をです。確かに、私はいわゆるおフランス好きには全く見えません。世間で言われる所謂「おフランスかぶれ」のイメージとして、お洒落であったりインテリであったり、流行に敏感だったりというのがあると思うのですが、そのどれもが私には当てはまりません。そんな私が、なぜフランスをジャンルとして(笑)選んだのか。考えてみました。
 私とフランスとの出会いは、高校時代のことでした。当時、田舎の女子高生だった私は帰宅部。放課後は再放送の「大岡越前」を祖父と観るために、1時間に1本しかない電車に乗るために命を懸ける毎日を送っていました。彼氏もいない、打ち込むスポーツもない、ましてや勉強も好きじゃないという暗黒時代、唯一の楽しみは毎月3日と18日に発売のオリーブを読むことでした。当時のオリーブはファッションだけでなく、ライフスタイルや映画や音楽などのカルチャーを東京との時差なく運んでくれる雑誌でした。その頃の私にとってはまさにバイブル的な存在です。聴くもの観るもの読むもの、すべてにおいて影響を受けていたと思います。
 そんな中でも一番心をつかまれたのが当時「渋谷系」と呼ばれたミュージシャンたち。ピチカート・ファイブ、フリッパーズギターやカヒミ・カリィ、など当時のポップカルチャーを牽引していた方たちが影響を受けていたもの、そして私たち世代に紹介していたもの、それがフランスでした。こどもだった私にどこまで理解できていたかはわかりませんが、トリュフォーやゴダールの映画を観、ピエール・バルーやセルジュ・ゲンズブール、フランソワーズ・アルディの曲を聴く。サガンやカミュの本を読む。テキストを買ってきてフランス語を独習し始めたのもこの頃です。
 フランス崇拝主義は若さのアクセルもあって、どんどん加速していきました。そして高校3年夏、私はフランス語学科のある大学に進学することを決めたのでした。もう、将来何になりたいとか、そういうレベルでの話ではありません(小学生の頃は英語の通訳か翻訳家になりたいと思っていましたが)。4年間、フランスにどっぷりかぶれるためだけの進路選択でした。幸い、子供たちの進路に無関心な両親から反対されることもなく、私はフランス語学科の学生になったのでした。そしてその学生時代にはさまざまな人たちとの出会いがありました。 続きます。



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