2016年8月30日火曜日

フランス語会話力をつけたい方におすすめのテキスト

 追記テキスト現在入手困難になっているようです。
 
 このブログを読んでくださっている方の中にフランス語を学ばれている方もいらっしゃるかもしれませんね。ブログの話題が食べ物のことばかりなので、今回はフランス語学習について書こうと思います。

 大学入学後、授業の大半はフランス語の科目となり、「総合フランス語」「フランス語会話」「フランス語文法」「フランス語リスニング」「商業フランス語」など、さまざまな先生とさまざまな教科書を使って学習しました。教科書の選定は先生方がするので、学生は指定された教科書を買って勉強するのですが、その中にも「当たり」と「ハズレ」があったように思います。

 その中で私が特に「当たり」だったと思う教科書をご紹介したいと思います。


  基本表現別 フランス語コミュニケーションの方法  第三書房 (1995/03)


画像はAmazonより

「あいさつ」「意見を述べる」「断る」などのコミュニケーション行為を100項目にまとめた便利な基本フレーズ集。ことば使いや用語のニュアンス、話す際の注意点について、生きた知識を満載。旅行、日常生活からビジネスまで、57の場面別ダイアローグ。ダイアローグ全訳と日本語索引を入れて、より使いやすくなった日本人学習者向け別冊つき。 (Amazonより引用)

 こちらのテキスト、フランスのDidier社から出版された"Guide pratique de la communication”という本の日本版です。CDとセットになっていて、さまざまなシチュエーションで「フランス人のように」会話するヒントがたくさん盛り込まれています。
 
 文法や読み書きはある程度身についたけれど、なかなかフランス人と話す機会もなく、会話力がつかないというお悩みを持っている方に、特にお勧めしたいです。

 私はこのテキストを読んでCDを聞いて、留学前に飛躍的に会話力がアップしました。

  言葉は生き物ですので日々変化・進化していきます。表現方法など、一部古くなっている部分もあるかもしれませんがそれをもっても余りある良い教本だと思います。

 

 ちなみに関係者ではありません(笑)

2016年8月22日月曜日

Surimi (シュリミ)のサンドイッチ

 日本食が世界的なブームになっていると言われて久しく、もはやSushiやTempuraは世界共通語になっているようですね。

 私が留学していた時代のアンジェという街には当時は中華はたくさんありましたが日本料理店は1軒もありませんでした。

 なのでどうしてもご飯が食べたくなると、寮のキッチンで、フランス人学生たちから好奇の目で見られながら日本から送ってもらった米を鍋で炊き、簡単なおかずを作って食べるしかありませんでした。

 そんななか、大学の構内に昼時にいつもサンドイッチやら菓子パンを売りに来るおじさんがいたのですが、そんな彼のスタンドにSandwich Surimiと手書きのメニューが貼ってあるのを発見しました。

 SURIMI・・・。聞き覚えあるこの言葉。すり身?いや、そんなはずは。日本料理店さえないこの街で、すり身なんて日本語が通じるなんてあり得ない!!きっとそんなアラブ系食材があるんだろう、はたまたこれはフランス語で勉強不足の自分が知らないだけなのか!!焦る自分を落ち着かせながら、私は事実を確かめるべく、おじさんの前にのろのろと歩み寄り、尋ねました.

“C'est quoi, ce Surimi?" 「このSurimiっていうのは何ですか?」
「スリミじゃなくてシュリミだよ、シュリミ。知らないのか?魚で出来たケーキみたいなもんだよ」
「えっ?じゃあ日本のものなんですね?わ~驚いた!」
「いや、シュリミはフランスのもんだと思うよ~。よくわからんが。」

 とにかく実際問題、これが何なのか。知りたくなった私はそのSandwich Surimiを買い、逸る気持ちを抑えて食べてみた。中から出てきたのはカニカマでした。

 確かにカニカマはすり身で出来ている。そうか、君は海を渡って、よりプリミティブな名前になって頑張っていたのだね。

これはスーパーの広告 もうフランスの食生活に欠かせない存在です。


 それからたびたびそのサンドイッチを食べるようになった私でした。


2016年8月19日金曜日

15分遅れがお約束 Le quart d'heure angevin

 ホームパーティーを開いたりします。そんなとき、「7時に来てね」とお願いしても、汚い部屋の掃除や手抜き料理に思ったよりも時間を取られ、7時ちょっと前に玄関のチャイムが鳴ったりすると、「ああ!こんなとき、Le quart d'heure angevin(ル キャールドゥール アンジュヴァン)があってくれたらな~」と思います。

 さて今回はこのLe quart d'heure angevinについて書きます。
 
 Angers(アンジェ)という都市は、フランスの西部の、メーヌ川とロワール川が合流するあたりに位置する中都市です。私は以前に書いたようにこの街で学生時代を送っていました。

パリからTGVで1時間半。落ち着いた雰囲気のとても良い街です。

 
 Parisの形容詞形はparisien(ne)(パリジャン・パリジェンヌ)であるように、Angersの形容詞はangevin(e)(アンジュヴァン・アンジュヴィヌ)といいます。

そしてLe quart d'heureは15分(4分の1時間)という意味、すなわち「アンジェの15分」ということです。

 アンジェで誰かの家にお呼ばれして時間ぴったりに行くと、いつも一番乗りだったり、招待した張本人に「えっ?もう来たの?」的な態度をとられ、「えっ?8時って言ったよね?時間間違っちゃった?」と聞くと、笑ってTu ne sais pas le quart d'heure angevin? 「アンジェの15分って知らないの?」と聞かれました。そしてアンジェではみんな約束の時間には15分は遅れてくるものだという意味だと教えてくれました。

 それってどうなの?って思いましたが確かにみんな平気な顔で15分20分と遅れてきます。

 そして男子たちには、「パーティーに一番のりで来るのは女の子は絶対しないほうがいいよ~」と言われました。モテ女は最後に来るものなのですって!!一番のりはガツガツしてる感じがしてかわいくないとのこと。

 はぁ~。
 そんなこと言ってないで時間守ろうぜ~と思っていた私ですが、留学を終えるころには15分どころではなく遅れて行くようになっていました。郷においては郷に従えってやつですかね。それともモテたかったのでしょうか?

 日本に帰って授業だ、バイトだと日常生活に戻った私はすぐに5分前行動に戻りましたけれども…。
  
 以上です、編集長!! (いない…)
 

 


 

2016年8月17日水曜日

キリンダイアリーについて

今年の4月に正式にイザベル・ボワノの日本エージェントとなり、最初のお仕事がEdition Girafeさんより本日発売になった雑誌「Kirin diary キリンダイアリー」の表紙イラストでした。

お写真はこちらからお借りしました



この雑誌は、某有名料理雑誌の元編集長であり、現在旗の台で日用品&ワイン喫茶Kirin Storeと、バル&ギャラリーSakana Airを経営されている田村さんが編集長を務める「現代社会のエアポケットを巡るエアポケットマガジン」です。

Kirin storeもSakana Airもとても素敵なお店、ワイン喫茶です!おしゃれだけどスノッブじゃない、地元の方が気軽に寄れるような場所を目指していらっしゃるとお聞きしました。お料理も美味しそうでお酒のメニューも豊富!近所だったら毎日でも通いたいです。お近くの方はぜひ遊びに行ってみてくださいね。


本日見本誌を送っていただき、早速読ませていただいたのですがキャッチフレーズの「エアポケットマガジン」というのがとてもしっくりきて街歩きでも表参道だ、銀座だというのではなく、地味だけど地元の方に愛されるしみじみと良いところを紹介されていて、本誌をガイドブック代わりに歩けば、きっと何か良い出会いがあると思える内容でした。オールカラーで写真もとても素敵です。


そんなすてきな雑誌の創刊号の表紙を担当させていただく幸運に恵まれ、またご報告いただいたところによると、読者の方もイザベルの表紙を気に入ってくださっているとのことで、私もイザベルも喜んでいるところです。


ぜひぜひ皆さんにも読んでいただきたい!!


キリンダイアリー vol.1 B5版中綴じ、オールカラー
定価400円+税

Kirin Store店頭、KIRIMUSウェブストアほか、直販書店、物販店等で好評販売中です。


2016年8月15日月曜日

仕事部屋が欲しい

 我が家は東京都下の賃貸アパートです。間取りは2LDK。そこに夫婦と息子2人の4人で住んでいます。

 1部屋は夫の仕事部屋として使い、もう1部屋は寝室。あとは大きなダイニングテーブルと小6の息子の勉強机をおいたリビング(ダイニング?)があるだけです。

 私の仕事場は、ダイニングテーブルの上。そこにラップトップパソコンを置き、使用中の資料や何やらは使っていない椅子の上に乗せて仕事をしています。毎日3歳の息子の世話をしながら仕事をしている私にとって、このスタイルは意外にフィットしています。自分の座っている席の対面に子供を座らせて遊ばせたりおやつを食べさせながら仕事ができるからです。

 とは言え、集中できないことも多く(大事な部分は子供たちが寝静まってから始める)もうそろそろ自分だけの仕事スペースが欲しいと思うようになってきました。

 今ではレンタルオフィスやオフィスシェアリングなどのサービスがあるようですが、予算的にも合わないしどんなもんかな~と。

  長男もそろそろ自室を欲しがっており、もうこの辺がこの間取りに住む限界なのかなと思うようになってきています。引っ越すしかないのかな~。

 鬼籍に入られたアーティストや小説家の方などの生前の仕事部屋が公開されることがありますよね。それを見ると、きちっと片付けられている仕事机の方もいれば、雑然としていて豪快なアトリエの方もいる。その人物の仕事に対する信念や情熱がにじみ出ていてかっこいいな~と思います。

 私はと言えば超雑然としていて、仕事と生活が混在しているスペースになっています。
 
 小さいお子さんがいる自宅勤務の方はみなさんどのようにされているのでしょう。
 暮らしと仕事の垣根が低い今の働き方は、子供が小さいうちの期間限定のものかもしれません。

 今は不便も多いですが、人生のひとつの醍醐味と思って、リビングでの仕事を頑張りたいと思います。
 そしていつか自分の仕事部屋を持てたら嬉しいです。

 

 

2016年8月10日水曜日

アンドレ・ルコント

 留学から帰り、超幸運なことに就職先もすぐに見つかった私は、残り半年の大学生活をバイトと日仏学院の授業で埋めていました。

 何かフランス関係のアルバイトをしたいと思っていた私は、当時青山ツインタワーにあった老舗フランス菓子店、『アンドレ・ルコント』のキッチンでパッケージの仕事をすることにしました。ツインタワーの地下にあるキッチンの横にパッケージルームがあり、焼きあがったお菓子を、そこで様々なケースや箱に詰めたり、セロハンで包んだりする仕事です。



写真はこちらからお借りしました

 その当時、ルコントは青山の他に銀座と日本橋の三越、新宿伊勢丹にも支店があり、毎日とても忙しかったのを覚えています。
 私の他に女の子が2人、朝出勤して昼休みを挟んで夕方まで、ひたすらお菓子を詰める日々。
パティシエの方たちが精魂込めて焼き上げたお菓子についた焦げを、すべて取り除き、割ったり潰したりしないよう丁寧に箱詰めしていきます。たまに新作の試食などさせてもらうのが嬉しくて。

 アンドレ・ルコント氏は1968年に、日本で初めてのフランス菓子専門店を始めた方で、パティシエの憧れ的、神的存在の方。私がアルバイトを始めた頃にはもう鬼籍に入られていましたが、氏の意志を受け継ぐ職人たちが、日々素晴らしいお菓子を作り出していました。

 それに比べ、フランス語を話せるぐらいで、手に職があるわけでもなく、何かを作り出せる創造性もない私。ならば、その作り上げたお菓子を、心を込めて美しくプレゼンテーションするのだ!と毎日同じルーティーン仕事の中でも頑張ろうと思っていました。

 その仕事は今の仕事にも通じるものがある気がします。自分から何かを発信する側ではなく、何かを発信する人と、受け取る人の間に立ち、そのコミュニケーションをより良いものにすること。それが自分の仕事だと思っているからです。

 ルコントは2010年に一度閉店しましたが、2013年広尾に再オープンしています。

 久々にあの味を味わいにいきたいな~。

2016年8月8日月曜日

Mon oncle わたしの叔父さん



『ぼくの伯父さん』というジャック・タチの映画がありますが、今回は『わたしの叔父さん』について書こうと思います。

 私が育った千葉ののどかな町には、本屋さんが何軒もありましたが、いわゆる街の本屋さんで、珍しい本などは置いていませんでした。今はAmazonや楽天など、ぽちっとするだけで欲しい本が手に入る時代ですが、当時はそんなはずもなく、私はもっぱら小学館から出ていたミニレディーシリーズ(同世代の方は懐かしいはず!)を買うのを楽しみにしている少女でした。

 そんな私と妹に、当時大学生だった叔父が、帰省する際、東京の八重洲ブックセンターで本を買ってきてくれました。地元の書店には売っていない、美しい装丁の絵本や読み物。叔父が帰ってくるのが楽しみだったのを覚えています。

 そのとき買ってもらった本を思い出して挙げてみます。


 ピーターラビットの絵本シリーズ

                                                           

これは言わずと知れたピーターさん(池畑でないほう)の物語です。3冊組になっていて小さな版で作られていました。可愛いうさぎの物語だと思って読むと、意外にも皮肉だったり意地悪な部分もあったりして、(機関車トーマスにも通じる)子供だった私は「イギリスってあんまりいい国ではなさそうだな」(今は好きですが笑)という感想を持ったのを覚えています。以前会社勤めをしていた時に、イギリスの湖水地方(ピーターラビットのふるさと)にある会社の方にお会いしたことがあったのですが、「ああ、ピーターさん(池畑でないほう)の地元の方か~!」とすごく感動しました。

 つきのぼうや


 こちらも名作、つきのぼうやです。なんと言ってもこの本の形に、驚きました。長細いのですから。
ストーリーは空想の世界で、「そんなわけあるかいっ!」と突っ込みながら読んでいましたが、なぜかまた読みたくなる中毒性のあるものだったと思います。なんといっても、自分の本棚に入らなかったのを覚えています。でもこの判型のおかげで記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。長細い本、ということで。

ハイジ
画像はこちらからお借りしました
こちらは福音館古典童話シリーズの『ハイジ』です。分厚くて、立派なケースに入っていて、何やら仰々しい雰囲気の1冊でした。ハイジといえば、アニメでしか知らなかった私は、原作がこんなに長い物語で、挿絵もそんなに多くないということに愕然としました。小学校低学年には難しかったのだと思います。せっかくいただきましたが、読まずに長いこと本棚に入れっぱなしでした。

 中学生になって、自室で何もすることがない時に、ふと手に取って読み始めたら、とても面白くて驚いたのを覚えています。やはり童話は変に読みやすくするためにアレンジしたものよりも、原作翻訳の方がよいのかもしれません。

 昔読んだ『ああ、無情』の幼年版の最後が、「さて、ジャン バルジャンはこれからどうなるのでしょう。続きはみなさんが大人になってから読んでみてくださいね」と締めくくられていたことがあって(どこの出版社のかは忘れた)子供ながらに「馬鹿にすんな」と憤慨したのを覚えています。

 以上の他にも、きれいな写真集や、いままで聞いたことのない作者の物語を毎回の帰省に持ち帰ってくれた叔父。叔父の大学は北海道でしたが、東京経由で戻ってくる叔父は私にとって「東京の風を運びし者」といった風で、「東京」という極たまに連れて行ってもらうメガシティにいつか住んでみたいという気持ちを持ったきっかけとなった人物でした。

  親よりも影響力はないけれど、何かのヒントやきっかけをくれる存在がおじさん、おばさんではないかと思います。

 私も2人の姪たちにとっての「わたしの伯母さん」になりたいと思っているのです。


2016年8月5日金曜日

名刺の小箱

 今でこそ、おこがましくもフランス語翻訳者と名乗っておりますが、フランスのフの字もない生活を長く送っていました、新行内です。

 2005年に長男を出産してから、初めての育児にいっぱいいっぱいになり、3年間は全く仕事をせず専業主婦をしていました。その後、引っ越しをすることになり、移り住んだ町の保育園に空きがあったので、子供を預け、事務のパートをしていました。その期間、フランス語の勉強と言えるようなことは何もせず日に日に衰えていく語学力を悔しく思いつつも、とにかく日々の仕事と育児で疲れ果て、努力を怠っていました。

  職場が近く通いやすかったので、細かい不満はありつつも、3年間そんな生活を送っていました。本当はフランスに関わる仕事がしたい、でも状況的に無理なんだ。いつも自分にブレーキをかけていました。忙しい夫とゆっくり話す機会があると、パート仕事の愚痴や、もし出産も育児もなかったら、仕事を続けていたなど、『たら、れば』の全く意味のないことをたびたび口にしていました。そうやって、自分の不本意を状況や他人のせいにしていたのだと思います。
 
 そんな時、愚痴の大嫌いな夫は、「嫌ならパートを辞めてフランスの仕事をしたらええやんか」のような、どストレートな返しをしていました。もともとフリーランスでずっと仕事をしてきた夫にとって、私の言っていることはただの甘えでしかなかったのです。わかっている、このままでは、ずっと不満を抱えながらも楽な道をずるずると行ってしまう。そう思っても、勇気のない私はなかなか一歩を踏み出せずにいたのでした。

 そんなある日、夫が私に小さな箱を渡してくれました。中には「フランスのことなら  新行内紀子」というキャッチフレーズと、フランスの三色旗が書かれた名刺が入っていました。とにかくフランス関係の仕事をしたいなら、行動を起こせという意味だったのだと思います。

 私は雇用契約が満了すると更新はせずにパートを辞め、長男を義父に預け、パリに2週間ほど滞在しました。およそ8年ぶりのフランス。パリで頑張っている友人たちとの再会。尊敬する方とのディナーでいただいた励ましの言葉。子育てを言い訳にして努力してこなかった自分の不甲斐なさ。1人で考える時間をたっぷりともらえて、私は頭のスイッチをカチッと切り替えることができたのです。

 帰国してから、夫の作ってくれた名刺をお会いする方たちに配るようになりました。自分が何をするか、何ができるかもわからない。でもとにかく「フランスのことなら」自分に頼んでみてください、という出発でした。

 夫婦別姓に抵抗がある方も多い中、夫は初めから旧姓の新行内で名刺を作ってくれました。(夫の姓よりも珍しい旧姓の方が皆さんに覚えてもらえるだろうということだったようです。)

 夫婦でいろいろなことがあるけれど、何も言わずに半月もパリに滞在させてくれたこと、この名刺を作ってくれたことには一生感謝し続けると思います。ありがとう。

 そして今、家族で乗り越えなければならない困難に直面している我が家ですが、夫のポジティブで型にはまらない考え方に助けられながら、それぞれの夢を実現できるよう努力していこうと思っています。